感染症の基礎知識

感染症とは、病原体(=病気を起こす小さな生物)が体に侵入して、症状が出る病気のことをいいます。病原体は大きさや構造によって細菌、ウイルス、真菌、寄生虫などに分類されます。病原体が体に侵入しても、症状が現れる場合と現れない場合とがあります。感染症となるかどうかは、病原体の感染力と体の抵抗力とのバランスで決まります。

細菌やウイルスなどの病原体も、体の外側にただ存在しているだけでは問題を起こしません。これを「定着」といいます。これに対し、病原体が体内に侵入し、特定の臓器や全身で増殖することを「感染」といいます。そして、その結果として人体に不都合な症状を引き起こす病気を総称して「感染症」と呼ぶのです。

ウイルスが上気道(鼻・のど)に感染を起こせば「ウイルス性上気道炎」、細菌が肺に感染を起こせば「細菌性肺炎」などと呼ばれます。

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)が人に感染して起こす肺炎などの感染症を総称して、新型コロナウイルス感染症(CoronaVirus Disease-2019: COVID-19)と呼ばれています。


ウィルス(Virus)細菌(Bacteria)真菌(Fungus)の大きさの比較

細菌とはなにか


いわゆる「ばい菌」と呼ばれる「細菌」は、目で見ることはできない小さな生物です。一つの細胞しかないので単細胞生物と呼ばれます。細菌は栄養源さえあれば自分と同じ細菌を複製して増えていくことができます。 

細菌は皮膚や、鼻やのど、腸にも元々存在しています。これらは「皮膚常在菌」とか「腸内フローラ」などと呼ばれ、病気の原因というよりむしろ正常な状態を保つのに役立っていいます。腸内細菌などは一見体内にいるように見えるますが、実際のところは「腸の内側」=「体の中心と反対側」にいるので、「体の外」にいると言えます。

ヒトに病気を起こすことがある細菌として、大腸菌、黄色ブドウ球菌、結核菌などが知られています。抗菌薬(抗生剤、抗生物質)は細菌の増殖機構を狙い撃ちして退治するための薬です。抗菌薬が効かないもしくは効きにくくなった細菌のことを薬剤耐性菌といいます。これまでなら効くはずの抗菌薬が効かなくなると、感染症の治療が難しくなるだけでなく、手術の時や抗がん剤治療で免疫が低下したときの感染予防など、さまざまな医療が困難になります。

ウィルスとはなにか

 細菌の10~50分の1程度の大きさで、とても小さく、自分で細胞を持ちません。(DNA やRNA はあります)自力で増殖するための機構(仕組み)は持っておらず、定義上は生物ではありません。ウイルスには細胞がないので、増殖するために宿主の細胞内にある機構を勝手に利用するため、他の細胞に入り込んで生きていきます。ヒトの体にウイルスが侵入すると、ヒトの細胞の中に入って自分のコピーを作らせ、細胞が破裂してたくさんのウイルスが飛び出し、ほかの細胞に入りこみます。このようにして、ウイルスは増殖していきます。

 ヒトに病気を起こすことがあるウイルスとして、インフルエンザウイルス、ノロウイルスなどが知られています。風邪(普通感冒)はさまざまなウイルスが原因となります。

 ウイルスは大きさや仕組みが細菌と異なるので抗菌薬(抗生剤、抗生物質)は効きません。抗ウイルス薬はまだ少数しか開発されていません。

様々な感染経路

病原体が体内に侵入する経路を「感染経路」といい、まずは大きく垂直感染と水平感染に分けられます。

垂直感染は、病原体が母親から子へ伝わる、経胎盤感染,経産道感染、経母乳感染などが分類されます。水平感染は垂直感染以外のものを指し、分類には、経口感染、血液感染、接触感染、性感染、飛沫感染、空気感染、動物感染などがあり、一般生活において重要になるものは、「接触感染」「飛沫感染」「空気感染」です。

新型コロナウイルスは、主に「飛沫感染」と「接触感染」といわれているので、これらの感染対策が必要です。さらに、新型コロナウイルスは気道分泌物および糞便から分離されるため、対策のポイントは以下の2点になります。

①ウイルスを含む飛沫が、目・鼻・口の粘膜に付着するのを防ぐ

②ウイルスが付着した手が、目・鼻・口の粘膜と接触するのを防ぐ


接触感染って?

感染者がくしゃみや咳を手で押さえた後、その手で周りの 物に触れるとウイルスなどの病原体がつきます。飛沫が直接落下付着する場合もあります。

他の方がそれを触ると 病原体が手に付着し、その手で口や鼻を触ると粘膜から 感染します。 皮膚を直接透過することはありませんが、一部の真菌類は菌糸を伸ばし皮膚を侵すことがあります。

このように、物体の表面を介しての間接的な接触により、病原体が付着することで感染することを指します。

例→咽頭結膜熱(プール熱)、インフルエンザ 等


■接触感染がおこりやすい主な場所の例と対応策:

1.ドアノブやバー  → ひじや腕を使う

2.エレベーターのボタン → ひじや小指の甲を使う

3.電車・バスのつり革、捕まりバー → 捕まらない・小指を使う

4.階段エスカレータの手すり → 触れない

5.オフィスの共用物(コピー機・PC・電話) → 毎日消毒する


■接触感染がおこりやすい主なモノの例と対応策:

1.現金 → この際キャッシュレスに! 

2.マスク → 外す際は紐だけに触る

3.手袋(グローブ) → 外す際に表面は汚染されているので触らないように外す

4.スマートフォン → 自宅ではチャック付き袋等に入れて使用する?

5.コンビニ・スーパーのかご → 取っ手部分を消毒して使用するのが望ましい

6.ATM画面 → 使用した後は手指衛生を!

7.公共ボールペン → なるべく自分のペンを持ち歩き、使用する

飛沫感染って?

ウイルスや細菌がせき、くしゃみなどにより、細かい唾液や気道分泌物につつまれて空気中に飛び出し、約1mの範囲で人に感染させることを指します。吸い込んでも粒子が重いため、直接、下気道に達するわけではなく粘液などに含まれて感染します。

例→百日せき、風しん、インフルエンザ、おたふくかぜ(流行性耳下腺炎) 等


空気感染って?

ウイルスや細菌が空気中に飛び出し、1m以上超えて人に感染させることを指します。飛沫が乾燥してエアロゾルや水分を失った飛沫核として、空中を漂います。ウイルスは比較的短時間で不活化します。細菌や真菌などは長時間生存するものがあり、熱などに強い芽胞を形成するものもありますので、陽圧室などが必要になります。ウイルスも含めて皮膚を通過することはできないので、経口、経気道感染となります。数μm程度のエアロゾルであると肺胞に直接到達するので急速に感染します。

例→麻しん(はしか)、水痘(水ぼうそう)、結核 等

その他の感染経路

■経口感染(糞口感染)

ウイルスや細菌に汚染された食べ物を、生または十分に加熱しないで食べた場合や、感染した人が調理中に手指等を介して食品や水を汚染し、その汚染食品を食べたり飲んだりした場合に感染します。

糞便が手指を介して経口摂取される場合を特に糞口感染といいます。

例→感染性胃腸炎(ロタウイルス)、感染性胃腸炎(ノロウイルス) 等


■血液感染

例→HCV(C型肝炎)、HBV(B型肝炎)、梅毒 、HIV(AIDS)


■性感染

例→クラミジア、HIV等


■動物由来感染

動物由来感染症における伝播 病原体の伝播は 感染源である動物から直接人間にうつる直接伝播 と、感染源である動物と人間との間に何らかの媒介物が存在する間接伝播 の、大きく2つに分けることができます。さらに間接 伝播 は感染動物体内の病原体を節足動物等(ベクター)が運んで人間にうつすもの、動物の体から出た病原体が周囲の環境(水や土等)を介して人間にうつるもの、および畜産物等の食品が病原体で汚染されている場合に分けて考えることができます。

直接伝播例→狂犬病、猫ひっかき病、トキソプラズマ症、オウム病等

関節伝播例→マラリア、黄熱、日本脳炎、デング熱、西ナイル熱、ペスト、破傷風、アニサキス症等

指定感染症とは

感染症予防法定められる、政令1年間限定して指定された感染症を指す。人から人に感染する疾病について、感染力や危険度で分類されています。

患者入院院勧告建物消毒などの対策をあらかじめ決め流行予防する目的です。

今回の新型コロナウイルスは、結核やSARS、鳥インフルエンザ(H5N1)等と同様の、二類感染症に指定されています。

感染症の歴史

「…学校、役所、工場、炭鉱、鉄道を襲い、猖獗を極めた。郵便局では欠勤者が続出し、電報、電話業務が遅れた。

全国の鉄道でも列車の運行に大きな支障が生じた。運転手が不足したのだ。その結果、街では食糧不足が問題視されている。…」

「…医師、看護婦は真っ先に感染し、多くの医療機関では、診療は身動きが取れなくなった。入院患者の給食も滞った。しかし、昼夜をとわず患者は増え続け、火葬場では“焼け残し”が出るほどだった。遺族は仕方なく地方の火葬場で荼毘に付そうとしたため、上野駅や大阪駅では棺桶が山積みになった。…」

「…与謝野晶子は、日本政府の対応の悪さを新聞紙上で酷評している。『大呉服店、学校、興業物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時的休業を命じなかったのでせうか』。一家総倒れの《感冒の床から》の本音であったろう。…」

15日付では〈大阪の流感猛烈〉の見出しで、大阪市が全小学校と幼稚園を10日間の休校としたと報じた。また16日付では、門司市の警察署長が映画館や劇場の館主に対して〈「予防口蓋」を着用せざる者は入場を拒絶すべき用訓示〉と、再び大勢の人が集まるのを制限するムードが高まったことを伝えている。

こうした惨状の一方で、18年にあった第1次世界大戦の終結記念式典が神戸市内で開かれ、神社の縁日がいつも通りにぎわう様子も掲載されている。感染拡大防止の取り組みが徹底されていなかったことが紙面から分かる。

 感染症の歴史に詳しい東北大の磯貝恵美子名誉教授(細菌学)は「当時も学校や職場の閉鎖などが全国で相次いでいた一方、満員電車や都市の人混みは放置されたままだった。現在もそのダブルスタンダードは同じだ」と分析する。


注:与謝野晶子とは、元経済財政政策担当大臣の与謝野馨の祖母で歌人です。

(岡田晴恵「与謝野晶子とスペインインフルエンザ」ヘルシスト178号)。


https://shikiho.jp/news/0/334313

さらにインフルエンザによるパンデミックについては以下の表にまとめてみた。ここにある株価騰落率は、明治、大正時代は「東京株式取引所(東株)」の株価を、昭和、平成、令和時代は「日経平均株価」を用い、発生時期の月末株価から翌月末株価までの騰落率、そして翌月末を基準として6カ月後、12カ月後の株価騰落率を示している。

■パンデミックの歴史と株価騰落率

感染症名発生場所発生時期 翌月末 基準月より 基準月より

(基準月) 6カ月後 12カ月後

旧アジアインフルエンザ サンクトぺテルブルク 1889年12月(明治22)-5.7% 30.9% 17.7%

スペインインフルエンサ 米国カンザス州1918年3月(大正7)3.7% 7.2% 42.1%

アジアインフルエンザ香港1957年4月(昭和32)-11.7% -5.5% 8.3%

香港インフルエンザ香港1968年7月(昭和43)6.3% 3.2% 12.4%

新型インフルエンザメキシコ2009年4月(平成21)7.9% -1.9% 2.6%

新型コロナウイルス中国武漢2020年1月(令和2)-8.9% ? ?

(注)新型コロナウイルスの発生時期は中国国営中央テレビ (CCTV)が公表した1月9日とした。 株価騰落率は1と2は「東京株式取引所」の株価を、3から6までは「日経平均株価」を用いた SHIKIHO ONLINE

 1889(明治22)年発生の「旧アジアインフルエンザ」はヨーロッパだけで約25万人が死亡し、日本でも翌年2月頃から大流行したようだが日本における死者数は不明だ。日本ではむしろ同年6月に長崎で発生したコレラの影響が大きく、コレラによってこの年だけで3万人以上の死者が出たもようだ。ちなみにこの頃から日本ではインフルエンザのことを「流行性感冒(流感)」と呼ぶようになった。

 1918(大正7)年に全世界で大流行した「スペインインフルエンザ」は、科学的に検証可能なインフルエンザパンデミックの中では史上最大とされる。諸説あるが、当時の世界人口約20億人のうち3分の1以上が感染し、死者は数千万人に上った。実はこのパンデミックは米国カンザス州から始まったとされる。それがなぜ「スペイン」という名前になったのか。それは当時、第1次世界大戦の最中で世界各国が情報統制を敷く中、スペインだけが国王もインフルエンザにかかったと報道してしまった。そのため、このパンデミックがあたかもスペイン発であるかのように受け取られてしまい、「スペイン」と名付けられたという何とも痛い話である。

 このインフルエンザは日本でも大流行し、翌19年にかけて死者は38万人に上った。その惨状について同年2月の東京日日新聞は「世界風邪で恐ろしい死亡者、安政虎疫(コレラ)以来の大惨状」と題し、東京市内だけで1日およそ250人の死亡者が出ていると伝えている。

 1957(昭和32)年のアジアインフルエンザは、日本では6月に全国で猛威をふるい、学童50万人以上が罹患し、1200校が休校する事態に至った。

 最後に株価の動きを確認しておきたい。

 株価の動きがすべてインフルエンザの影響とは言わないが、結果だけみると新型感染症が発生した翌月は大きく下がる事があっても、そこから12カ月後を見越すとすべてのパンデミック発生時で株価は上昇している。新型コロナウイルス騒ぎが収まらない今、「お先真っ暗」としか感じられないが、だからこそ「今こそ投資チャンス」と考えたい。それは歴史を振り返るとパンデミックは必ず「収束」しているし、株価は上昇しているからだ。

渡部 清二(わたなべ・せいじ):大手証券会社に23年間在籍。中堅企業、個人投資家向けの資産コンサルティング、世界の運用会社向けの日本株セールスに携わる。2014年四季リサーチ設立、2016年「複眼経済観測所」設立、18年4月「複眼経済塾」に社名変更、塾長。



https://www.kokuchpro.com/event/228677aef4462708d65dc2ebd6f0d2fb/1077882/

2009年の新型インフルエンザが発生した時も、WHOはパンデミック宣言をしました。

ただ、その時はリーマンショックの影響が大きかったため、あまり参考にはならないです。

では、もう少し歴史を辿ってみると、1956年にアジア風邪が中国から発生し、1957年にパンデミック宣言をしました。

世界の死者数は100万人、日本の死者数は5,700人(感染者は300万人)

現在の新型コロナよりも1956年のアジア風邪の方が、ものすごい感染数と死者数

です。

ちなみに、この時に日経平均株価を見てみると、595円から472円まで暴落しました。これは、20%の暴落です。

ちなみに、その安値をつけた後は、半年後には元の水準に戻るどころか、655円というパンデミック宣言を受けたタイミングの株価よりも高値をつけました。



http://rci.nanzan-u.ac.jp/ISE/ja/publication/book/2015Pandemic-book.pdf

「パンデミックを考える―その危険性と不確実性をめぐる政治・社会・倫理 」の講演録(抜粋)

お染風邪

もう1つ前の日本のインフルエンザ流行というのは 1890 年です。明治天皇が何カ月か休まれたという。このときは三条実美とか、他にも有名人が死んでいるんです。

スペイン風邪

1919 年とありますが、1920 年まで引っ張ってほしい。日本全国の死亡者を1本の線で描くとすると、スペイン・インフルエンザの流行は、1918 年の11 月あたり、これが1つのピーク。それから、もちろんゼロにはなったわけではないのですが、ずっと過ぎて、1920 年の1月、これが第二のピーク。1920 年の1月もピークですから、1918 ~ 1919 年ではなく、1918 ~ 1920 年。ただし、1920 年は、内地だけで言えば、ほぼ3月、4月で終わります。外地は多少あとまで残りますが。

地域的に全体を通して、一番死亡率の高かったのが大阪なんですね。これは比較の話で、東京でも九州でも、都市の死亡率は高いです。北海道でも。中でも高かったのは京阪神でしたね。

一番悲劇的だったのは、神戸のある神社ですが。そこへ行っておみくじをもらうと病気にかからないと。迷信ですね。それでみんな満員電車に乗って行くわけです。そこで罹患して帰ってくるわけですね。かえって感染が増える。

アジア風邪

アジア風邪は何かというと、記録を読むと、学校の話しか出てこないのです。修学旅行でうつった、学校閉鎖。学校です。

アジア風邪は 1956 年で、これはまだオリンピックよりだいぶ前で、1956 年ということは、終戦のとき、ベビーブームの子どもが、ちょうど小学校、中学校の生徒だった。その当時、学校は、過密学級というのが非常に問題になっていました。それから修学旅行が当時始まった頃で、修学旅行生を介して日本中にインフルエンザが広がった。そういうことで、これは非常に感受性の高い集団が、確かにあった時期です。

新型のインフルエンザが流行したときに、そのワクチンをどのように配布するかという問題が、このときに出たということであります。

1957 年~ 1958 年にかけて流行したものでありまして、100 万人弱の患者さんが出て、大体 7,000 人の死者が出た

それまでと異なるところが、専門家を公式に動員したというところであります。お医者さんと言いますか、専門的な公衆衛生であったり、ウイルス学であったり、小児科であったり、そうした専門家の方を一堂に会した審議会、今でもこれはその後、ずっと綿々と続いているわけですが、この審議会を最初に事実上動かしたのが、このアジアかぜのときでした。

最初に検定合格して、使えるワクチンというのは 11月になってからでした。先ほど見たように、既にもう第一波は終わってしまい、9月から第二波すら始まってしまっている中で、ようやくワクチンが徐々にできていくという実態であります。したがって、ワクチンの配分問題というのが、かなり深刻化したということです。

臨時接種は、ワクチンがないので、東京だけに限定されまして、それ以外の地域は、任意接種の扱いになりました。しかし現実には、流行に遅れたがゆえに、最終的には売れ残ってしまいます。いっぱい作ったけれど、結局、使わずに終わるという、非常に残念な結果にもなったということでありました。

都道府県ごとの相違点として、減量接種をあげることができます。本来は皮下接種するところを、皮内、直接打ち込むことによって、少ない量にして、みんなでシェアするというところもあれば、医者がいない僻地を優先するところもありました。加えてまさに、これは時代ですが、受験生、中学校3年生に配慮する、15 の春を泣かせないという、こんな県もありました。それから老人を対象にしたのは、大体半数です。残りは老人を対象外にしていたので、打つ対象にならなかったというのが当時の状況だった

アジアかぜのときの重み付けの話をご紹介したわけですが、なぜああなのか。つまり小学生とかは1で、普通の人は 0.5 で、小学生と中学生が混ざって申請されると0.7 か何かになる

当時は、いずれにしても、別に国民に公表されているわけでもないんですよね。当時は都道府県からの申請に対して、内部で重み付けをして、「いや、これが答えだ」と言って答えを出しているというところで、別にそれが、すごく大揉めに揉めたとか、それが不公平であるとかということにはない。

ポリオ

ポリオです。小児麻痺とも言われた病気ですし、今でも予防接種はされているわけですが、これは 1960 年代はじめ、昭和 35 ~ 36年に非常に流行しまして、このときに安全性が必ずしも十分に検証されていないワクチンを使うのかどうかという決断を迫られた事例であります。結果としてこのときは使うという決断をして、それは劇的な効果をあげて、予防接種と言うか、ワクチン行政の成功例だと、一応思われている

当時としては、非常に高額な、5,000 円~1万円ぐらいかかるものでしたが、しかし子どものためということで、親御さんは並んで子どもに打たせるということを全国でやっています。こうしてワクチンが不足してさらに高騰していく。減量接種などもやるのですが、減量接種をすると、うまく免疫がつかなくて発症してしまうこともあって、やはりそれは問題だということになっていった

1960 年に集団感染が発生しています。これは北海道の夕張が最初で、徐々に全国に広まっていきます。それゆえに、公的な予防接種化というのが課題になります。しかし、予防接種法を改正しないと、公的な予防接種にはなれないのですが、当時はちょうど安保闘争で岸内閣が退陣し、池田内閣になるという、非常に政治の混乱期でありまして、すぐに法改正できない状況にありました。それでどうしたかというと、閣議決定でやるという、非常に脱法的なことをやります。

新しくワクチンを作っても、先ほど言った検定の問題があって、なかなか国産品が検定不合格で普及しない。こうして本来3回打たなければいけないところ、2回ぐらいまでしか、夏の流行までに終わらない。しかも2回接種した子どもさんも、残念ながらポリオに感染してしまうという事例が出てしまいます。

36 年を見ていただくと、夏からどんと下がっていることが分かります。ではこれはどういう経緯でそうなったのかということで、これが第二のワクチン、いわゆる生ワクチンですが、これが導入されたから

生ワクチン、今度はアメリカではなくソ連で 1959 年に開発されたワクチンです。ただ、当時、冷戦体制ですから、アメリカのワクチンは割と好意的に受け止められるのですが、ソ連製のワクチンを、はい、すぐに使いますという状況ではなかった

NHK が強烈にキャンペーン報道をして、つまり生ワクチンを使えと、どんどん報道をしていく。それに伴って、生ワクチンへの声、要求が高まってきますので、政府側としては、しかし薬事法の規定で、未承認薬を使えないわけですよね。どうするか。実験ということにしよう。ということで、1回は実験という名目で使いました。しかしこれはあくまで実験だという位置づけなので全国規模ではできないということでした。

陳情団、お母さんたちが厚生省に押し寄せる事態にまで発展します。副作用とか問題があるかもしれない中で、そんな未承認薬は使えないよと言う立場の薬務局と、可能性があるなら使うべきであり、このまま見過ごしていいのかという立場の公衆衛生局とが厳しく対立しました。

香港風邪

アジア風邪とホンコン風邪の間では、乳児死亡率が俄然減って、それで死亡者のピークが老人のほうに移っている。

これがそうですが、これが年齢、こちらが年寄りで、こちらが若い方。そうすると、これが1955 年で、これがホンコン風邪のほうです。これ、死者数が、これからこちらにずらっと移っているわけですね。ですから、この 1960 年ぐらいから、この辺を経験して、乳児死亡は減って、老人のほうに移っている。

SARS

SARS が流行し始めたとき、一番最初に発見したのはベトナムのお医者さんでした。しかもその方は、ベトナムの WHO の担当官も兼ねておられました。その方が WHO に通報したところ、無視されてしまった。実は彼自身も知らずに感染していたのですが、タイの空港に着いたときに倒れてしまった。たまたまそこに WHO のアメリカの医師が同席していました。そこで、そのアメリカのお医者さんが WHO に再度通報したところ、WHO は即座に行動してくれた

豚インフルエンザ

2009 年の新型インフルエンザ、いわゆる豚由来の新型インフルエンザが蔓延したときのように、「大問題だ。これは多くの人々が死ぬかもしれない」という前評判と全く正反対に、「なんだ、大したことなかったじゃないか」という肩透かしの感覚を与える結果となりました。

 さて、このとき政府は国民に接種するためのワクチンが足りないということ、大量のワクチンを海外から輸入するということをやりましたが、結果、これらは無駄という批判が出ました。たとえば 2010 年 6 月28日付の時事通信によりますと、「輸入ワクチン853 億円無駄に」といったような批判も出てくる。

2009 年に新型インフルエンザが発生して、このときはパンデミックになりました。豚から来たインフルエンザが世界的に流行したわけです。ただ、終わってみれば、被害は想定したより軽く済みました。

2009年の新型インフルエンザのときも、WHO はたびたび同じことを言っていました。何か発表するたびに、例えばフェーズを上げるたびに、「でも、各国は人の行き来を制限しないでください」ということを、実は結構、強調してました。

WHO が判断するんですが、あくまでも客観的なデータを見て、科学的知見に基づいて、専門的な知識を持つ WHO がフェーズを宣言するというのが原則です。でも、現実にはそこに各国の政府が横やりを入れてきました。何かというと、要は、あまりフェーズを上げないでほしいと言うのです。フェーズが上がると、いろいろ厄介な問題が出てくるからと。いろいろな対策も取らなければいけないし、各国の貿易関係とか、渡航の制限とかは、非常に厄介な問題です

国境を閉ざした場合のいろいろな悪影響を考えると、国家としては「やめてほしい」と。2009 年の新型インフルエンザの場合は特にそうした意見が出てきたのですが、そういう各国の思惑が絡んできて、必ずしも科学的判断に基づいてWHO がフェーズを宣言するとは限らないということです。

新型インフルエンザをきっかけに、予防接種に関しては、かなり積極的になりつつあって、その後、今、どんどん新しい予防接種を受け入れるようになりつつあります。

2009 年の新型インフルエンザのときは、学校は結構、休校措置をして、過剰に休校していって、もう一度学校を再開するというのが非常に大変だったということは言われている

2009 年の新型インフルエンザの水際対策について言えば、おそらく世界的に見ても、日本はかなり国境を閉ざす方向でやっていました。

実は 2009 年の新型インフルエンザの時に、中国や韓国も結構水際対策をやっていたという話を聞いたことがあります。


https://igakushitosyakai.jp/article/post-537/

インフルエンザ流行の歴史と公衆衛生の役割 ―“スペインかぜ”と現代― /逢見 憲一 (国立保健医療科学院生涯健康研究部)(抜粋)

わが国において「源氏物語」や「増鏡」に「シハブキヤミ」の記述があり、当時の医書「医心方」にも「咳嗽」の病名が挙げられていました。少なくともその一部にはインフルエンザが含まれていたと考えられます

表1 世界およびわが国におけるインフルエンザ流行(1700年以降)

其当時はインフルエンザと呼ばずに普通はお染風と云つてゐた。…(中略)… すでに其の病がお染と名乗る以上は、これに憑りつかれる患者は久松でなければならない。そこで、お染の闖入を防ぐには「久松留守」といふ貼札をするが可いと云ふことになつた。新聞にもそんなことを書いた。勿論、新聞ではそれを奨励した訳ではなく、単に一種の記事として昨今こんなことが流行すると報道したのであるが、それが愈ゝ一般の迷信を煽つて、明治廿三四年頃の東京には「久松留守」と書いた紙礼を軒に貼付けることが流行した。中には露骨に「お染御免」と書いたのもあつた。

内務省衛生局編『流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録

http://www.niph.go.jp/toshokan/koten/Statistics/10008882.html

図5 予防接種に関する時期別にみた粗および年齢調整超過死亡率

図6 2009 H1N1系統樹


https://www.gentosha.jp/article/15260/

日本史を病からえぐり取った、酒井シヅさんの傑作『病が語る日本史』がある。これは過去を知るためにも、あるいは、過去から教訓を引き出すためにも読むべき書籍といえるだろう。

日本は島国で、多くの感染症は海外からやってきた。それは鎖国の時代も例外ではなかった。江戸時代の1730年にインフルエンザが大流行した。これは唯一の貿易地であった長崎から全日本に伝播したものだった。さらに三年後に「風病」(脳卒中と思われる当時の言葉)が流行するが、街中はひどいありさまだった。

<江戸の町では夏の一ヶ月で死者八万人を数え、大混乱になった。人々は棺をあつらえる暇もなく、空の酒樽に亡骸を入れて寺院に運んだ。荼毘に付すには数日もかかり、町は死臭に溢れる(P149)>ほどだった。



http://www.zeneiren.or.jp/pdf/anniversary01.pdf

健康診断関係年表①(抜粋)

1904

明治 37

- 徴兵検査におけるトラホーム罹患率は、明治 37 年 11.9%、明治 44 年20.19%、大正 10 年 13.9%、昭和 13 年 7.7%であった。明治 30 年代のトラホーム流行について、日清戦争にその原因を求めるような意見があった。18,25)

1909

明治 42

- 性病の比率は、明治 43 年徴兵検査人員 43 万 5,002 人のうち、花柳病罹患者は 1 万 1,780 人で、その 1,000 分比 27.10 にのぼった。21,24,86)

1919

大正 8

3・27 政府は、大正 8 年「トラホーム予防法案」を第 41 回帝国議会に提出した。床次内務大臣は、「トラホーム患者は、徴兵検査の結果より推算すれば約 1,000 万人に達すると思われる。」と述べた。「トラホーム予防法」を制定(大正 8.3.27 法律第 27 号)した。5,24)

1924

大正 13

- 徴兵検査時の壮丁の花柳病罹患率は、明治 42 年から大正 9 年までは1,000 対 21~27 程度、大正 11 年からは 20 を下回り、大正 13 年には14.2 まで低下した。85,86)

1927

昭和 2

- 徴兵受検壮丁の花柳病総数は、昭和 2 年、受検壮丁数 1 万 1,672 人、花柳病者 85 人、受検壮丁千対患者数 7.67 人。5 年間の計で、受検壮丁数 5 万 4,616 人、花柳病者 695 人、受検壮丁千対患者数 12.74 人であった。昭和元年~10 年における壮丁検査成績によると花柳病罹患率は、平均 1.12%、顕症梅毒有病率は平均 0.19%であった。陸軍の隊内における花柳病予防方法として、毎月 1 回以上随時身体検査を行い、花柳病、皮膚病及び眼病の有無を検査し、治療した。25,87)

1935

昭和 10

- 昭和元年より昭和 10 年における全国壮丁検査成績によると、壮丁1,000 対花柳病罹患率は 9.7~13.3 の範囲内にあり、平均 11.2 であった。このうち顕症梅毒は平均 1.9 であった。45,85)



https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/48/view/6315

データベース『えひめの記憶』(抜粋)

例年の徴兵検査や初年兵身体検査では一%前後の性病患者が発見されていた。大正三年一二月松山歩兵第二二連隊に入隊した初年兵九〇二人のうち疾病で除隊を命ぜられた者が八五人を数えた

花柳病予防法

 「花柳病予防法」は昭和二年四月五日に公布された。この法では、花柳病を梅毒・淋病・軟性下疳とし、伝染のおそれある花柳病にかかっていることを知って売淫をした者は三か月以下の懲役、媒介した者は六か月以下の懲役に処するという罰則を設け、医師に対して花柳病罹患者を診断したときは伝染の危険及び伝染防止の方法を指示することを義務づけた。



http://www.hws-kyokai.or.jp/images/ronbun/all/201207-02.pdf

学級閉鎖の有効性に関する研究(抜粋)豚インフルエンザ

対象は茨城県T市の全小学校(37校481クラス)の全クラスおよびその生徒

わが国では平成21年 5 月に初めての新型インフルエンザ患者が観測され,同年秋から翌年春まで流行した

回答があった小学校は,24校(291クラス,回収割合60.5%)であった。有効回答は17校(197クラス,実質的回収割合41.0%)で,この中で学級閉鎖を実施したクラスは16校116クラス,3,384人,のべ数では16校130クラス,3,711人であった。

表 4  欠席者割合と実施日数より予測される,学級閉鎖前後における欠席者割合の差

表 5  学級閉鎖実施前日の欠席者(%)と学級閉鎖実施日数から予測される学級閉鎖実施後日の欠席者の予測値(%)と観測値(%) 

欠席者割合が10%では学級閉鎖に欠席者減少の効果があるとはいえず,これは学級閉鎖によって減らすことができる欠席者割合の限界と考えることができる。

クラスの20%以上が欠席した時点で学級閉鎖を開始し,期間を 6 日以上とすれば,欠席者を10%程度まで減少させるという意味で効果があることが示された。



http://www.zeneiren.or.jp/pdf/anniversary02-2.pdf

健康診断関係年表②(抜粋)

1883

明治 16

赤痢が、明治 16 年頃から急に大流行し始め、明治 26 年、27 年には全国的に猖獗を極め、死者は約 8 万人にのぼった。大正時代を通じて年々1 万人近い死者を出した。

1886

明治 19

3 コレラが大流行し、患者 15 万 5,923 人、そのうち死亡した者は 10 万 8,405人であった。内務省が、「虎列刺予防法消毒心得」(内務省訓令第 321 号)を発した。

1899

明治 32

11・8 わが国最初のペスト患者が神戸市で発生し、続いて大阪でも患者が発見されてわが国最初の流行が始まった。明治 33 年 10 月に 3 人の患者が発生した。明治 34 年に至る第 1 回の流行となり、その後も明治 43 年までに患者、死者 2,000 余人とわが国最大のペスト流行となった。

1902

明治 35

コレラが流行し、患者 1 万 2,891 人、うち死亡者は 8,012 人を数えた。これ以降、患者 1,000 人を超えたのは明治 40、43、45 年のみであった。大正 5 年には約 1 万人を記録した。上下水道の普及等衛生環境の改善や海港検疫体制の整備があり、一応、コレラの予防体制は確立した。

1918

大正 7 欧州のインフルエンザ流行より 3~4 ヵ月遅れて、わが国では 8 月下旬から 9 月上旬にかけて蔓延の兆しを示した。インフルエンザは、大正 10 年 7月に至る約 3 年間に 3 回の流行を反復し、全国を席捲した。第 1 回の流行は、大正 7 年 8 月より大正 8 年 7 月の間に患者数 21,618,388 人、死者は257,363 人で、全人口の約 3 分の 1 が罹患した。致命率は 1.22%であった。第 2 回の流行は、大正 8 年 10 月下旬から翌 9 年7月まで続いたが、第 1回の流行の約 10 分の 1 に過ぎなかった。第 3 回の流行は、大正 9 年 8 月から翌 10 年 5 月まで続き、患者数 224,178 人、死者 3,698 人、致命率1 .65%であった。

1946

昭和 21

終戦直後のわが国にとって急性伝染病の防疫対策が重要であった。コレラを始め、発疹チフス、痘瘡が大規模に流行し、マラリアも蔓延した。発疹チフスは昭和 20 年 2,461 名、昭和 21 年 3 万 2,366 名であった。痘瘡患者は、昭和 20 年 1,614 名、昭和 21 年 17,954 名に達した。日本脳炎の流行が昭和 21 年から始まった。昭和 21 年には、コレラが流行したが、昭和21 年のみであり、患者数は 1,245 人、死者は 560 人であった。痘瘡も昭和21 年だけの流行であった。発疹チフスは、昭和 21 年には 3 万 2,000 人を超える患者数となった。昭和 21 年、GHQの指示の下に、発疹チフス、パラチフスの予防接種が行われ、患者の発生数、死亡者数が激減した。発疹チフスと腸チフスの予防として、DDTの散布が強制的に行った。

1948

昭和 23

日本脳炎は、昭和 23 年から数年間に亘って東京に大流行が続いた。その後は予防ワクチンの普及等もあって大きな流行はなかった。

1956

昭和 31

急性灰白髄炎(ポリオ)が、昭和 24 年から昭和 26 年にかけて流行し、昭和 26 年には 4,233 人とピークに達した。昭和 30 年には 1,314 人に減少したが、昭和 31 年には 1,497 人と再び増加傾向を示した。昭和 33 年に全国で 2,610 人の患者が出た。

1960

昭和 35

ポリオの患者が 5,600 余人発生し、政府は「急性灰白髄炎(ポリオ)緊急対策要綱」を定め、予防接種の実施とワクチン確保を開始した。

1961

昭和 36

ポリオは、10 数県に及ぶ大量発生となった。政府が、閣議で臨時措置として 6 ヵ月~18 ヵ月の小児にポリオ予防接種の実施を決めた。7 月、ポリオ生ワクチンシロップ剤 300 万人分、ポンポン剤 1,000 万人分がカナダ及びソ連より空路輸入し、生後 3 ヵ月以上 10 歳未満の希望者に投与した。昭和 37 年以降急速に減少して、昭和 40 年には僅か 76 名の発生に止まった。



https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/48/view/6309

愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行)(抜粋)

衛生統計によれば、愛媛県で多くの赤痢患者が発生したのは大正三、四年であり、腸チフスは大正四、五年であった。

大正一四年の腸チフス流行

 この年の腸チフス患者は六五〇人・死者一〇九人で例年に比べてさほど多い数字ではなかったが、県都松山市に二〇〇人の罹患者が発生、しかも市内小学校児童・中等学校生徒にチフス患者が多く、松山高等女学校が学校閉鎖をするなど学園のチフス騒動が新聞を賑わした。

松山高等女学校では六月一七日時で十数名の患者が発生したので全校生徒がかりの大消毒を行ったが、二〇日に至り、患者一八人に達し欠席生徒八〇人以上になったので、一五日間の学校閉鎖を断行した。



https://www.google.com/search?safe=active&rlz=1C1CHBD_jaJP865JP865&sxsrf=ALeKk00OYZPFy0_Zg6KUfpHVCTbgeu2afg:1589859840775&q=%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%80%80%E9%96%89%E9%8E%96%E3%80%80%E7%B5%B1%E8%A8%88%E3%80%80%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%80%80+%22%E9%A2%A8%E9%82%AA%22&sa=X&ved=2ahUKEwiU97S4gb_pAhWX62EKHRo9CCMQ5t4CMAB6BAgEEAw&biw=1366&bih=625

日本におけるスペイン風邪の流行と既存の結核との関連(抜粋)

日本への侵入時期は 1918年8月からとされている。その後,日本は1921 年7月までの4年間で3回の流行(そのうち2回は大きな流行)を経験し,当時の人口約5500万人のうち 2350万人がスペイン風邪に怪患して8万人が死亡したとされ、 軍隊でも一般でも20~30 歳代に多くの犠牲者がでたことが報道された。

政府は国内外の情報収集と地方への助言を行ったが、 対策としては, 注意を促すポスターの配布, 効き目のないワクチン接種の推奨を行う程度であり, 結果として効果的なものはみられなかった。研究者はインフルエンザの病原体を追求し、製薬会社はワクチンを作ったが,スペイン風邪ウイルスの発見や効果的なワクチン開発には至らなかった。

1919年と1920年にインフルエンザ死亡率と結核死亡率, 工場数, 職工数との間にそれぞれ関連があったこと,さらに女性のほうが男性より幅広い年齢階級でインフルエンザと結核性疾患との関連がみられたこと, 1918年には関連性がみられなかったことである。



http://www.arsvi.com/d/p051980.htm

1986年11月11日 朝日新聞朝刊 インフルエンザ予防接種は有効 公衆衛生審が見解発表(抜粋)

インフルエンザの予防接種については、54年に前橋市内で接種を受けた子どもがひきつけを起こしたことがきっかけとなり、同市医師会が55年以来、小中学生や幼稚園、保育園児へのワクチン集団接種を中止している。その後各地の父母や市民グループの中から、集団予防接種の義務づけやワクチンの効果などに対する疑問の声が上がっていた。

 今回の意見書は、このうちワクチンの有効性に関して答えるのが狙い。51年以来、児童、生徒たちに義務づけている集団予防接種を今後どう取り扱うかなどについては、現在、同省の「インフルエンザ流行防止に関する研究班」で検討を続けており、今年度末には結論を出す予定だ。

1986/11/11 読売新聞東京朝刊 インフルエンザ予防手段 現状ではワクチンだけ/審議会小委見解

インフルエンザの社会全体への流行を防ぐため、三十七年にワクチンの集団接種が始まり、五十一年から法律による義務接種となった。毎年、保育所や幼稚園の園児や小、中学生など約千五百万人が受けている。

1990/11/07 読売新聞東京夕刊[ヘルス]効果あった?児童のインフルエンザ予防接種

予防接種を受けなかった児童が、インフルエンザ症状になったのは五五%であったのに対し、二回接種群は二八%と約半分だった。特に低学年の未接種群の罹患(りかん)率が高く、六〇%を超えていた。


https://www.nishinippon.co.jp/item/n/590625/?page=2

スペイン風邪、猛威の記録(抜粋)

1918年8月~19年7月の第1回流行期は、全国で約2117万人の患者のうち約26万人が死亡(死亡率1・22%)。一方、19年8月~20年7月の第2回流行期は、患者数は9分の1の約240万人だったが、死亡者数は約13万人に達し、死亡率は5%を超えている。

そして18日付で九州日報は〈看護婦が足らぬ〉の記事を掲載。〈当局も苦心している。今は幾十円の金を出しても既に看護婦を得る事が出来ない〉としており、医療崩壊をうかがわせる。

生命保険業界が〈流感と保険 戦争以上の打撃〉の見出しで〈一昨年冬季より昨年春季にかけての同病や流行の為大打撃を受けたる生命保険界に之が為再び深甚の損害を受くるに至りたる〉として、〈小会社にありては打撃の程度鮮少にあらざるべしと〉と、経済への深刻な影響をうかがわせた。



https://www.gikai.metro.tokyo.jp/record/educational/2009-12.html

文教委員会速記録第十二号 平成二十一年九月十七日(木曜日)(抜粋)

○松山地域教育支援部長 新型のインフルエンザの流行は、昭和四十三年の香港のインフルエンザ大流行以来、四十一年ぶりとなります。

 今回の新型インフルエンザの特徴といたしましては、感染力は強いものの、多くの感染者は軽症のまま回復していること、抗インフルエンザ薬の治療が有効であることなど、季節性のインフルエンザと類似していることでございます。

 感染しやすい年代でございますが、東京都健康安全研究センターが発表しました五月二十日から七月二十三日までの都内二百二十九人の確定患者のうち、十歳代が一番多く四六・七%、次に十歳未満、二十歳代がそれぞれ一八・三%となっております。

○大津委員 国では一律の外出禁止等の要請はしないとはしていますが、東京都の考えはどうなのか、あわせてご見解をお願いいたします。

○松山地域教育支援部長 新型インフルエンザに関するリーフレット「新型インフルエンザうつらない・うつさない」を都独自に作成いたしまして、昨日までにすべての公立小中学校及び都立学校の児童生徒の保護者に対して配布したところでございます。その中でも、臨時休業中の外出を控えることを求めております。

○高野指導部長 各都立学校では、生徒の状況をもとにいたしまして、学校医や保健所の意見を踏まえ、都教育委員会の関連部署と相談しながら、最終的には校長の判断で、適切に修学旅行等の中止、延期の決定をしている状況でございます。

○森口都立学校教育部長 各都立学校におきましては、旅行先や実施時期の変更などを旅行業者と協議し、可能な限りキャンセル料を発生しないよう対応しておりますが、やむを得ずキャンセル料が生じた場合には、保護者に新たな負担をかけることなく、学校徴収金の範囲内でキャンセル料と修学旅行の経費を支払っております。

○畔上委員 都立学校内での感染予防対策なんですが、消毒液の使い方などは学校によって若干違っているようですけれども、都立高校への予算配付はマスク、生徒一人一枚、職員二枚、単価は五十枚入りで千三百五十円だということで、非常に低額の配当予算になっているということで、学校の持ち出しがあったということも伺っています。

橘高校では五月に本当はオーストラリアに行く予定だったけれども、中止になって、国内の旅行に変更するということでキャンセル料が発生したわけです。これは保護者負担ということで、一人約二万円かかったということであります。


https://ameblo.jp/pagu-58/entry-12590458400.html

(抜粋)

アジア風邪は中国から広がったとされる新型インフルエンザ。世界的大流行を起こし、世界で200万人以上が死亡したと推定される。57年11月の岐阜タイムスの集計記事によると、その年は国内で前年末から3月ごろまでの一期、4~7月にかけての二期、9月以降の三期と計3回の流行期があった。一期は季節性の既存型、二期は新型、三期は両型が猛威を振るい、二度感染する人も多かった。

感染確認者は全国で8千人ほどだったが、厚生省(現厚生労働省)は「実際はその約10倍の8万人前後」と推定

関市の中学校では修学旅行で京都と奈良に行った3年生から感染が広がったとの記事もあった。

休校措置は休校期間が短かったり学年やクラス単位だったり、部分的な対処にとどまったため感染は収まらず、岐阜市教育委員会は「十分休養をとるように」と市内の小中学校に指示を出した。

厚生省は各都道府県知事に対し、各自治体での消毒の徹底や学校の休校、急がない旅行を行わないよう通達。悪化した時は「旅行の制限、患者の移動制限、事業場、興行場などの閉鎖を考慮する」とした。すでにワクチンも存在したが、数が足りず「全くの“無防備状態”」。県内では県などが予防策として、うがいやマスク使用の励行、消毒液や熱湯での消毒、過労を避けること、患者は別室に寝かせて部屋が一つしかない場合はカーテンやびょうぶで仕切ることなどを呼び掛け、記事は「各自で気を付ける以外に手がないと県は言っている」と結んだ。

県乳児院では保育士も感染。「疲れた身体で出勤しているが赤ちゃんに感染してはと注意に一苦労」と伝え、「このままでは全員倒れてしまいそうだ」との院長コメントも載せている。

死者数はあまり書かれていないが、2009年の厚労省の調べで、少なくとも全国で7千人が亡くなったことが報告されている。


http://www.asahi.com/special/09015/TKY200906010147.html

2594校が修学旅行中止・延期 新型インフル(抜粋)

文部科学省は1日、新型の豚インフルエンザで国内の修学旅行を中止または延期した小中学校、高校は全国で2594校あったと発表した。


http://www.med.oita-u.ac.jp/infectnet/SARS/SARS_report_00234.html

海外修学旅行、中・高111校見合わせ…新型肺炎余波(抜粋)

中国などを中心とした新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)の流行余波で、海外への修学旅行を中止して、行き先を国内に変更した中学・高校が4月末で、111校に上っていることが、読売新聞社の調べでわかった。


https://www.mhlw.go.jp/content/shingi___2004___04___txt___s0423-7.txt

04/04/23 感染症分科会感染症部会新型インフルエンザ対策に関する検討小委員会第五回議事録(抜粋)

○雪下委員

新型インフルエンザというものはどんな形にしろ、今の一般のインフルエンザの対応ということで一般医療機関では考えていていいということでよろしいんでしょうか。

○加地参考人

以前バンデミック、例えばアジア風邪とかいうときのことを思い出しておりますと、どういう流行になるか。いろいろ可能性は論じられますけれども、実際はわからないんです。

○廣田委員長

議題3「インフルエンザA/H5N1の臨床について」で、加地参考人にプレゼンテーションをお願いいたします。

○加地参考人

軽症の例、あるいは不顕性感染があるのではないかという可能性を考えておくことも必要ではないかということであります。

大正7、8年、1918年、1919年のスペイン風邪のときの第1波が人口5,300 万人のうちの2,100 万人くらいが症状を出しておりますので、そのときの発病率というのを見ますと、大体40%です。第2波、第3波というのは非常に少のうございます。全体にこのスペイン風邪の場合に、症状発病率というのは、大体40%くらいと考えていいのではないかと思っております。

アジア風邪のときには、10ページにグラフが書いてございます。これはアジア風邪流行史というところにあったものから引用しておりますので、これは罹患率と書いておりますが、これは感染率でありまして、流行が過ぎ去った後に採血をいたしまして、抗体があるかどうか調べました。

70歳以上の人はある程度の抗体を持っている人がおりました。そういうことを考えましても、1回の流行が終わった後で採血をして、抗体があるということであれば、そのときのアジア風邪の流行に感染したということが言われる。これは感染率であります。年齢的にいろいろ違いますけれども、全体的に見ますと、保健所の職員の方全体で見ますと、第1波で20%、後で見ますとトータルで45%くらいであったとか、あるいは自衛隊の方で見ますと、これは特殊な環境で暮らしておられる方だと思いますが、第一波の後に50%、第2波で70%というのが抗体は陽性であったということで感染したということが考えられますけれども、我が国ではアジア風邪のときの感染率で行くと、大体50%くらいではないかということが推定されているということです。

スペイン風邪のときに、大体そういう経時的に患者さんを各県別に数が上げられた記録が残っております。そういうのを見れば、いち、どこで、どのくらいの患者さんが発生して、どういう具合にピークになって、どういう具合に終わっていったか、経時的な患者発生の状況がわかると思いますし、アジア風邪の場合には、これは週別に大体患者さんの発生数が当時ですから、出ておりまして、昭和32年ですから、週別に患者さんが全国各地でどんどん出てきて、ピークに達して終わっているという記録がたしかあると思いますから、そういうのをもう一遍検討してみると、当時に比べて、人口も違いますし、交通機関の普及率も違いますし、いろいろ社会環境というのは違っておるかもしれませんけれども、インフルエンザというのはとにかく昔から急速に広がるのはわかっておりまして、記録で見ると、江戸時代のころから割に短期間で全国に広がっている。やはりスペイン風邪の当時、アジア風邪の当時の広がり方の速度というのは大いに参考になるんじゃないかと思っています。



http://www.pref.kyoto.jp/tango/ho-tango/documents/1266281156630.pdf

平成21年8月12日 新型インフルエンザNEWS (抜粋)

妊娠中(産褥期の産婦含む)は、季節性インフルエンザでも重症化するリスクが高いと言われており、過去の新型インフルエンザ出現時(スペイン風邪やアジア風邪など)にも、妊婦の死亡率が高かったという記録があります。

サーベイランス(surveillance)とは、調査監視のことで、一般に経済や感染症の動向を調査する場合に使用します。感染症においては、病気の発生状況を調査や集計することにより把握し、その情報を基に病気の蔓延と予防に役立てるシステムを示し、日本でも地方衛生研究所や保健所で1981年より開始されています。


https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou01/kouen-kensyuukai/pdf/h28/kouen-kensyuukai_02.pdf

重症(肺炎合併)例を中心とした新型インフルエンザの診療について(抜粋)

20世紀~現在までの新型インフルエンザ出現とパンデミック

スペインかぜ(1918年、大正7年)の記録の検証

スペインかぜの入院時の臨床像



https://www.boj.or.jp/announcements/release_2009/data/fsc0902a2.pdf

事前準備と緊急対応の科学的基盤(抜粋)

過去の新型インフルエンザ流行の記録1 1890年(Russian Flu Pandemic):臨時テント病院

過去の新型インフルエンザ流行の記録2(1918年のスペイン風邪:マスク姿の米国シアトルの警察官)

1918年スペインかぜインフルエンザ、仮設ベッド

過去の新型インフルエンザ流行の記録3 1957年アジア風邪デンマークの臨時病院(コペンハーゲン)世界で200万人死亡

過去の新型インフルエンザ流行の記録4(1969年の香港風邪: 予防用マスクをつけて働く会社員)

The big pandemic of 1918

1918 Death Rates: Philadelphia v St. Louis


http://square.umin.ac.jp/pb165/mito/comp/excessdeaths.html

インフルエザと予防(抜粋)

昭和32年春からアジア風邪があり、夏までの第一波と冬の第二波が日本にも来たが、死亡者は第1波の1695人に対し、第2波は5593人であった[47news 2009-07-07]。

この時の死亡率が0.5%くらい、と、されている。昭和30年代の年間死亡者数では、67~72万人のところ、昭和32年だけは752,445人死亡し、5万人程も死者数が多かった。

当時は十分な抗生剤がなく、黄色ブドウ球菌による二次性細菌性肺炎による死者がおおかったとされるが、団塊の世代が小学生だった一方で、高齢者は少なく、今の65歳以上24%という惨状とは医療事情は大きく異なっている。人工透析がない分、ハイリスク患者が生き残れなかった頃の話であるので、ハイリスク群が多い分、死者は多くなると推察される。


ワシントン・ポストによる「ウィルスの広がり方」のシミュレーション動画で、なぜ感染者を減らして助かる人を増やすために「家にいる」ことが大切なのかがわかります。(リンク)


CONTRIBUTEREditor : Mukai, Kuumuholn, Eisuke TachikawaIllustration : Kacho